
博隆さんは23歳のとき、馬に触ったことも乗ったこともないまま、オーストラリアの競馬学校に飛び込んだ。
馬券が当たらないなら、馬の気持ちを知ればいい。そのくらいの動機だった。1年半で卒業し、デビュー後は所属した競馬場で新人賞を獲得した。苦しかったかと聞かれると、首を振る。「好きなことをやっていた、という方が強い。苦労という捉え方はしてなかった」。
沙緒理さんは鹿児島育ち。両親は寿司屋を切り盛りし、いつも忙しかった。「好きにやっていいよ」という空気の中で育った。鹿児島の会社に就職したが、男尊女卑の文化になじめず、何も考えずにオーストラリアへ飛んだ。英語はできなかった。でも、なんとかなった。
ふたりはブリスベンの日本人コミュニティで出会った。沙緒理さんの第一印象は「うるさい人」だった。博隆さんのお別れ会で、彼が泣いているのを見た。「この人、こんな一面もあるんだ」と思った。それが始まりだった。

結羽希ちゃんは、幼いころから熱性けいれんを繰り返していた。
血液検査、骨髄検査、転院。11ヶ月間、診断がつかないまま待ち続けた。2020年に名古屋大学で発表されたばかりのAMeD症候群と判明した。アルデヒド類が分解できず体内に蓄積し、骨髄性急性白血病を発症するリスクが高い、年間1名程度しか確定診断がつかない極めて稀な病気だった。
治療法は確立されていない。移植しなければどうなるか、も分からない。それでも、発症してからでは間に合わないと知り、家族は決断した。予防的治療として、2025年1月、博隆さんをドナーとするハプロ移植を行った。
移植翌日、結羽希ちゃんはベッドの上で元気にしていた。2週間で生着。1ヶ月でクリーンルームを出た。2025年3月、退院。今は元気に学校に通っている。

その間、兄の留伊くんは一人で鹿児島に転校していた。
妹の治療に集中するために、祖父母のいる鹿児島へ。友達と離れ、3ヶ月間を過ごした。寂しかった。我慢した。それでも、家族のためだと分かっていた。家族が飼っていた猫も、一緒に鹿児島へ行った。
「いつ何が起こるかわからない不安は、ある」と沙緒理さんは言う。
予防的な移植は成功した。でも、治療法はまだない。この先のことは、誰にも分からない。それでもこの家族は、今日を楽しく過ごすことを選んでいる。ゆっくりでいい。続けることが、強さだと知っているから。

2026年3月21日、ウィッシュバケーション最終日。色紙に、それぞれがこう書いた。
ゆっくりでもつづける強さ ——濱田 博隆
1秒先はどうなるか分からない。今を少しでも楽しく過ごす ——濱田 沙緒理



